アレクから是非に、と招待されて二人はラクルーサの王城へと赴いていた。正式な招待など、サイファにとっては煩わしいだけなのだが、アレクの態度が気にかかる。 「ね、お願い。きてちょうだい。アタシのためだと思って。アタシ、自分で自分を抑えられる自信がないの」 わざわざサイファの塔を訪れて、アレクはそう言ったのだった。手紙だったならば、サイファは行かなかっただろう。 だがあの時のアレクの表情が、どうにも気になって仕方ない。 「サイファ。平気?」 隣でウルフが居心地悪そうにしていた。当然だろう。ウルフはこの白蹄城にいる限りウルフではいられない。外交上の云々とやらでカルムと名乗らざるを得ない。外見も、それらしいものに改めているせいで窮屈極まりない、そんな顔をしていた。 「嫌なんだけどなぁ」 ぼやくウルフの手をサイファはローブの影でそっと握った。途端に彼の顔がほころぶから、あたりの人々が不審そうな顔をする。 サイファには、よくわからない、と言うより興味のない儀式が進行していた。神官や大臣だのが入れ替わり立ち代り現れては目まぐるしいことこの上ない。 「ウルフ」 小声で呼んで説明を求めた。この男に何かを説明してもらう日が来るとは、とサイファはこの世の不思議が楽しくなってくる。 「ん。あんた、誕生日って、わかる?」 「誕生日?」 小さな声であったが、それでも儀式中なだけに人目が痛い。そっと二人は柱の影に下がった。 「生まれた日のお祝い。半エルフってそういうの、ある?」 「誰が祝うんだ?」 「んー。主に周りの人?」 サイファには不可解な習慣だった。それが顔に表れたのだろう、ウルフが苦笑している。 「私は自分の生まれた日など、覚えていないな」 「普通、人間もそうだと思うよ」 「だったら、なぜだ?」 「だから、周りが覚えてるんだってば。親兄弟とかね、普通は」 「なるほど」 「あんた、父親はともかく母親は?」 「私が自己の意識を明確にするころには亡くなっていた」 「それってどういう意味?」 「お前、自分が生まれたばかりのころのことを覚えているか? お前でないとしても無理だろう。半エルフも同じだ。人間風に言えば、物心ついたころには母親は死んでいる、そういうことだな」 「ふうん、そっか」 それ以上、ウルフは言わなかった。寂しいのかとも悲しくないのか、とも。半エルフの生き方など、そういうものだからサイファに答えられない問いだと、彼はわかっているのだろう。 「だから、私は自分が生まれた日など、知らない」 それを祝うと言う感覚もない。この世に生まれた喜びならば、存分に味わっている。それを感謝しない日はおそらくない。殊更に生まれた日を祝う必要を、半エルフのサイファは認めなかった。 「それで、これは誰の祝いなんだ?」 「もうすぐわかるよ。ほら、きた」 ウルフの促しに従って、二人は元の位置へと戻る。そこからはよく儀式の進行が見えた。それにサイファは驚く。見慣れていて、それでいて見慣れない男。 「シリル?」 「だね」 苦笑だけで済ませたから、あるいはウルフはアレクから事情を聞いていたのかもしれない。サイファには語ってわかることではない、と彼は判断したからこそ、引きずり出すだけでよしとしたのだろう。 「それにしても、驚いたな」 いつもの神官服ではなかった。かといって隣のウルフのよう王子の正装と言うわけでもない。華やかでかつ、清々しい装いをしていた。 「なるほどね」 「ウルフ?」 「王家の守護者だよ」 「あぁ……」 ようやく納得できた思いでサイファはうなずく。生まれた日がどうのは、いまだ感覚的によくわからなかったけれど、相手が王家の守護者ならば大掛かりな儀式になってしまうのは知識として、理解できた。 シリルが笑みを絶やさず儀式を受けているのをウルフは感嘆の思いで見ていた。よくこんな面倒なことを、と思う。自分だったらとっくに逃げている、とも。 そこまで思ってすでに逃げ出していることに気づき、ウルフは密やかに苦笑した。サイファを窺えば、興味深げに儀式を見ている。 いつまでも、果てることがないかと思うほど長い儀式だった。戦士としての修練を積んだウルフですら、軽い疲労を浮かべている。立ち慣れていない大臣たちなど、憐れなものだった。 辺りが急にざわめいて、サイファは儀式が終わったのを知る。ウルフに問いかけようとしたとき、宮廷の侍従が二人の前に現れた。 「どうぞ、こちらに」 二人の名を問うことなく案内に立つ、と言うことはアレクの使いだろう。そう判断したウルフはサイファを導くよう、侍従に従った。 これから始まる宴にざわめいている人々の間を抜け、侍従はひっそりとした城の奥へと彼らを導いていく。静まり返った廊下の、一つの扉の前で足を止めて彼らを振り返った。 「こちらでお待ちにございます」 誰が、とは言わなかった。それで通じるとばかり侍従は一礼して下がった。 二人は顔を見合わせ、ウルフが肩をすくめる。何気なく扉を叩き、返事が返ってくるより先に開けてしまった。 「アレク。いるー?」 実に無造作にやり方に、サイファは久しぶりに眩暈を覚えた。たしなめるより先、聞きたくもない女の声が聞こえた。 「いるわよー。入ってらっしゃいな」 「……よせ」 言っても無駄なことをつい、呟いてしまってサイファは苦笑する。ウルフに続いて室内に入れば、ぐったりとしたアレクが長椅子に伸びていた。 「なんという格好をしている」 「どっち? 男の格好、それとも伸びてるほうかしら?」 「……両方だ。それから、その格好で女言葉を使うな、気持ち悪いにもほどがある」 「りょーかい」 いまだ伸びたままアレクは片手を上げて見せた。それを仕方ない、とばかりサイファは見つめ溜息をつく。辺りを見回せば茶器の用意があった。 「勝手に茶を淹れさせてもらおう」 「そうしてちょうだい。アタシにもね」 「うるさい、わかっている」 それからウルフに目配せを。儀式の前に預けておいた荷物は先ほど侍従の手でウルフに返されている。それを心得た、とウルフはにっこりして解きはじめた。 「シリルは?」 熱い湯をポットに注ぎながらサイファは何気なく尋ねる。答えが返ってくるのだろうか、といぶかしみながら。 「まだおっさんたちに捕まってるんじゃないのー」 「アレク。おっさんって、大臣さんとか神官さんとか?」 「大臣さんはよかったわね、坊や。まぁ、そんなところでしょ。あとは最大の難関が残ってるけど」 「て、言うと?」 「坊やにもわかってるでしょ。変態のおにーさまよ」 サイファは軽い頭痛を覚えていた。これが正統な王子と追放された元王子の会話か。国王を表現するに「変態のおにーさま」とはなんたること、と。 もっとも、人間の王に対して半エルフのサイファは欠片も敬意を抱いてはいない。アレクの言葉遣いの多様さに、頭痛を覚えたと言ったほうがこの際、正しいだろう。 「変態って、なんで?」 「だって、サイリルちゃんが可愛くって仕方ないのよ? 自分の治世に威厳を添えてくれるからって、利用し放題。それで可愛がってるつもりのド変態よ。これが変態じゃなかったら、なにを変態って言えっていうのよ」 滔々とまくし立てるアレクは、やっと体を起こす気力が湧いたのだろう。半身を起こしてウルフに圧し掛かるよう、喋っていた。 気力が蘇って結構なことだ、とは思うものの、サイファはどことなく嫌なものを感じる。兄が変態だというのならば、その弟はどうなのだ、とかすかに心の片隅に疑問が生じる。サイファは強いてそれを遠ざけようと務めたけれど、少しは考えてしまった。ラクルーサ王家には、変態しかいないのではないか、と。 「サイファ?」 勘のいいアレクに声をかけられ、サイファは強く首を振る。よけいに怪しいことにサイファは気づかなかった。が、アレクは見ないふりをする。 「茶が入った。ウルフ」 「ん。アレク、これお土産ね」 「あら、なに。サイファのお菓子。嬉しいわ」 熱い茶を受け取ってまずは一口。それから菓子にも手を伸ばしてアレクは微笑んだ。甘い菓子は体の疲労を拭ってくれることだろう。 「あ、ずるいよ。アレク。僕にも欲しいな」 そこにやっとの思いで兄王の手を逃れたシリルが顔を出した。菓子を口にしてから、やっとウルフとサイファに気づく有様。兄弟揃って疲労の極みだった。 「すみません、サイファ。気づきませんでした」 「なに。気にするな。疲れているようだな」 そろそろ現れるだろう、と思っていたサイファはすでにシリルの分まで茶を用意している。手渡せばほっとした顔をした。 「サイファ、それとウルフ。お礼申し上げます」 「なんだ、改まって?」 「アレクの相手をしてくださって、ありがとうございました。他には……任せられなくて」 シリルの言葉の含みにサイファは気づいた。よほど、荒れていたのだろう。シリルを利用されるのをどれほど嫌っても、シリルは王家の守護者。現王には逆らえない。 「なに、珍しい儀式が見られるとアレクに誘われたのでな。お前が気にするようなことではない」 言えば、長椅子の上でアレクが片目をつぶって見せた。ふっとサイファの唇がほころぶ。 「ねぇ、シリル」 シリルがさらに礼を言おうとしたところにウルフの声が割り込んだ。この妙な獣的な勘のよさが、サイファは嫌いではない。 「なにかな?」 「あれってさ、シリルの誕生日おめでとうってことだよね?」 「まぁね。だいたいは」 苦笑しながらシリルはうなずく。熱い茶に口をつけては、ゆっくりと飲んでいた。サイファもそれに倣って黙って話を聞くことにする。 心の奥から楽しさがあふれそうだった。ウルフの拙い言葉は、間違いなく演じられたもの。それを不快に思った日もある。いまは無性に楽しい。 「じゃあさ、シリルって幾つになったの?」 「うん、二十歳になったよ」 「ちょっと待った。シリル、二十歳?」 「いまそう言ったじゃないか」 ウルフが驚愕の声を上げる。それをシリルがおかしそうに笑っていた。そんな二人に不審を覚えたのだろう、アレクが身を乗り出してウルフを見る。 「どうしたの、坊や?」 「どうしたって……」 「だから、なによ?」 いまだ呆然とするウルフを焦れたよう。アレクが軽く叩いた。それに正気づいたのかウルフは力なく笑う。 「シリルが、俺より年下だとは思わなかっただけ」 「はいー? 坊や、いまアンタなに言ったの?」 「ほらね、アレクも驚くでしょ」 「アタシも?」 自分だけではなく、と言う含みを超えていた。アレクは恐る恐る視線をさまよわせる。一点でとまった。 「サイファ?」 テーブルの上、茶器が転がっている。あまりの驚きにカップを取り落としたのだろう、サイファの目は虚ろだった。 「サイファ、平気? 俺は驚いたけど、なんであんたがそんなに驚くかな」 ひらひらと、ウルフがサイファの目の前で手を振っていた。次第に目に生気が蘇る。何度か瞬いて首を振った。 「シリルが、お前より個体として未熟だというのが信じがたい」 「個体として未熟ってね。サイファ、俺たちは人間。一歳くらいだったらそんなに変わんないもんだよ。未熟って言うほど変わらないって」 「でも、お前も驚いていた」 「それはなんというか、ずっと上だと思ってたし?」 「びっくりしたよ……」 胸に手をあててシリルが息をついている。思えば、シャルマークではそのような話など一切していないのだから、知らなくとも無理はないことなのだろう。 サイファは半エルフだ。だから年齢は意味をなさない。それでも長く生きているだけあって人間がどれほど年齢にこだわるかは、知っていた。ちらり、アレクに目を移す。 「あら、アタシの年が聞きたいって顔してるわね、サイファ。レディに年齢を問うものじゃなくってよー?」 「誰が女だ。私の目の前にいるのは、女装した変態だ」 「失礼ね!」 言いながら、サイファの悪口をアレクは軽くいなした。彼が本気でないことはわかっている。他愛ない友人間の冗談だ。他人にすれば、それこそ大問題だが、彼らの間ではよくある類の掛け合いでしかない。 「どこがだ?」 さも心外そうな顔をして見せ、サイファはこらえ切れなかったよう笑った。 「それで。お前は幾つになるんだ。前に、シリルとは年が離れていると言うようなことを言っていたと思うが」 「あら、よく覚えてるわね」 目を丸くしているアレクにサイファは手を振る。彼が、あの時のことを忘れるはずはない、そうサイファは思っていた。 「アタシ? 二十七になるの、もうちょっとでね」 言ってぱちりと目をつぶって見せた。シリルは当然として、ウルフも動じない。はじめから彼が年上だとわかっているせいだろう。人間の兄弟としてはいささか年が離れている気もするが、確か母親が違うと言っていた。 「そうよ、サイファ。だから、年が離れてるの」 サイファの思いを見通したよう、アレクは言ってにやりとする。 「サイファ、アンタは幾つよ? 前に聞いたけど、誤魔化したわよね」 「別に誤魔化したわけではない。正確に幾つかはよくわからん。それだけだ」 「どうしてよ?」 問われてサイファは先ほどウルフにした話を繰り返す羽目になる。 「だから、私が生まれた日など、母は知っていたかもしれないが、私は覚えていない。よって、幾つかなど正確にはわからん」 「だいたい千七百くらいって言ってたかしら?」 「その程度だろうな。百年くらいの誤差はあるかもしれないが」 さらりと言ってサイファは茶を口にした。本当は、間違ってはいないだろうと思う。少しばかり人間が驚く顔を見るのが楽しかったせいだ。 「そっか、サイファ。誕生日わかんないんだ」 「だから、そう言っている。さっきから!」 「じゃあさ、俺が決めてあげる」 そういうものなのか、と思いはしたものの、サイファは口を挟まなかった。すぐそこで、拒んだら承知しない、とでも言うようアレクが睨んでいなくとも、ウルフの提案を受け入れただろう。 「いつだ」 問えば、ウルフは首をかしげて考えるふりをする。あからさますぎて信用しがたいにもほどがある。そしてウルフは口にした。色々考えた末に、これが一番だ、とでも言うように。 「俺とあんたが会った日」 実のところ、サイファは予想していた。アレクにからかわれることも、シリルが祝福することも。予想を上回ったのは一つだけ。 「サイファ、ごめん。大丈夫?」 胸の中に込み上げてくるものが、どうしても抑えきれなかった。 「なんでもない。問題もない。それでいい」 言い捨てて、すらりと立ち上がっては新しい茶の支度をした。誰も、手伝うとは言わなかった。仲間たちの穏やかな喜びの視線を背中に浴びて、サイファは壁に向かってひっそりと笑った。 |