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キアランは息を飲んで辺りを見ていた。純白の大理石の壁も鮮やかな石造り、優しげな木造、武骨な岩組み。いずれもすべてが神殿だった。 「すごい……ですね」 ニトロが竜の泉の調査の関係でハイドリンに行く、と言ってついてきた彼だった。神殿の街、とは聞いていたけれど、これほどとは思わなかった。見わたす限りすべてが神殿とは、とても。 「違うからな?」 小さく笑ったニトロにキアランは首をかしげる。いまは人間の姿である彼だけれど、そんな仕種をすると不思議と狼を思わせた。 「ほれ、あの建物。なんだと思う?」 問われてもキアランには神殿にしか見えない。違いと言えば少々他に比べれば小さいか、という程度。そんな彼をニトロが笑う。 「あれ、肉屋」 「……は?」 「うん、その反応はよくわかる。つか、俺もそうだった。あれはねぇよな」 はじめてカレンと共にここを訪れたときの自分と同じ反応でニトロは楽しい。もっとも、たいていの人は同じ反応をする。 「神殿の街って雰囲気を壊さねぇようにするためらしいぜ?」 「そういうもの、なんですか?」 「みたいだな。まぁ、神殿の横に肉屋があるってのもどうかと思うしよ。雰囲気づくりとしちゃ間違ってはいねぇよな」 確かに言われてみればそのとおり、なのかもしれないとキアランはうなずく。これほど神殿が隣接して建っている、という景色がまず想像しにくかったから、その横に肉屋があれば違和感は半端ではないものだろうとも思う。 「どうしてこんなに神殿が?」 ニトロはエイシャ女神の総神殿に行く、と言う。エイシャ女神と縁があるせいか、と思ったが間違いではないが縁があるのは神官の方だ、とニトロは言った。要はイーサウの神殿から紹介状をもらってきた、ということらしい。 「元々ここは神人の城があるわけで」 ニトロは背後を振り仰ぐ。陽射しにきらきらと輝く、ありえない木蘭の花のような城。かつてはあの城に数多の神人がいた、と聞く。いまは無人の城だった。 「その影響というか……まぁ、神人は神々の一族?みたいなもんだったわけで。だったら神殿もこっちの方がいいんじゃないかってことらしくってな」 自分にもよくわからないがいつの間にかここに総神殿を置く神殿が増えたらしい、とニトロは言った。これから行くエイシャ女神の総司教座など、かつてはラクルーサの王城内にあったのだと笑って話しつつ。 「それはあなたの先祖に当たる魔術師がいたせい?」 「そうそう。リオン・アル=イリオ師。あの人は宮廷魔導師でありながらエイシャ女神の総司教でもあったっていう、変わり種でよ。いまだにリオン師以外、兼業の魔術師は出てないからな」 兼業で済ますような問題ではないだろう、とキアランは呆れる。ニトロと共にあるようになってさほど時間はすごしてはいない。だがキアランの側にはニトロをはじめとして一流の魔術師たちがぞろぞろといる。おかげで魔法の歴史には一般的な常人よりよほど詳しくなった。 そうこうしているうちにエイシャの総神殿だった。イーサウのものより立派であるけれど、キアランにとっても親しみやすい神殿だった。柔らかな香りが入り口からすでに漂っている。が、キアランの鼻に障るようなものではない。 「匂い、大丈夫か?」 ふと振り返ったニトロが、けれどそんな風にキアランの心配をする。よく気のつく人だな、とキアランは微笑んで大丈夫、と肯っていた。 「おや、珍しいお人をお連れだね」 あれよあれよという間に総司教の前まで来てしまったのにキアランは驚きを隠せない。確かに紹介状はあったが、神官に渡すなり客間ではなく、総司教の居間に、と言われてキアランは目を瞬かせていたものが。 「あ……」 が、総司教の言葉で理解した。確かにイーサウの神殿でも自分の正体は一目で見抜かれた。ならばここでも。青くなるキアランに総司教は鷹揚に微笑み、そして今度は総司教の方が真っ青になった。それこそニトロとしては何かの発作かと思うほど激しく顔色を変えた。 「総司教様? 誰か、呼びましょうか?」 慌てているのだろうな、とキアランは思う。ニトロのいつにない声音。が、言葉だけを聞けばのんびりと問うてでもいるかのよう。 「いや……う……」 これは完全に発作か。ニトロに視線を移すなり、またも総司教が顔色を悪くする。まだ悪くなる余地があったのか、と思うほど酷い顔色だった。 さすがに放置は出来かねて人を呼びに立とうとすればそのままで、と手振りで止められた。とはいえ、脂汗まで流している人間が目の前にいるのだ、水の一杯くらい、と思ったがどうにも用意がない。 「総司教様、ご無礼を」 幸い、器だけはあったからニトロは断りを入れて魔法を発動させる。それにも気づかない様子で手渡された冷たい水を総司教は一息に煽った。 「いやはや、面目ない。無様をさらしたものよ」 苦笑する総司教がだいぶ落ち着きを取り戻したのは水を三杯も飲んでからだった。その頃になってようやく若い神官が茶菓の用意ができた、と入ってくる。総司教としては危ないところで体面を失わずに済んだ、というものだった。 「どうなさいました?」 ニトロの鋭い問いだった。キアランはニトロの無言の示唆に従って茶菓には手を付けていない。イーサウの神官は温かく迎えてくれたのだから、そう思っても危険は冒したくない。そんなキアランの姿に気づいたのだろう総司教がひどくすまなそうに眉を下げては頭まで下げていた。 「お詫び申し上げる。あなたが珍しいお方なのは、単に珍しい方だというだけのこと。我らが女神の前にあなたは人であるのだから」 ほっと息をつくキアランと違い、ニトロの目は鋭いままだった。他者の心が理解しにくいニトロという男は、誰にでも優しく、だからこそ冷淡でもある。けれどキアランにだけは打って変わった献身を見せる男でもあった。 「そちらのお方のお背にな……我が女神のお姿が、ちらりと」 「……はぁ?」 「と、思ったらあなたの影にもちらちらと。いやはや。まったく。これほどエイシャに愛された方を見るとは思ってもいなかったものよ。ましてあなたがたは信徒ではないというのに。いや、責めているわけではありませんぞ。我が女神らしい悪戯ぶりである、というだけのこと」 悪戯、で済まされてしまった二人は顔を見合わせる。思い当たる節が嫌と言うほどあるのだから否定がしにくい。キアランは自分が愛されているかどうかはおくとして、確かにシアンは御自らが迎えに立ってくださるほど慈しんでくれた、と思っている。ニトロとしてもエリナードからの縁がある。実際に写し身に出会ったのはシアンの時が最初であったが。 「それで、本題に入りましょうかな」 慌てふためいてしまって申し訳ない、と総司教は照れ笑いをしている。どことなく愛すべきエイシャ、と呼ばれる神官らしい態度だな、とキアランは静かに微笑んだ。 「紹介状には井戸水の調査をしたい、と記してあったが?」 「えぇ。正確には、アルハイディリオン記載地名同定のための予備調査、ですね」 なんの呪文だ、とキアランは首をかしげたけれど、総司教には通じたらしいので良いとする。それからは二人の間で学術的な会話になってしまって、キアランは置いて行かれてしまったけれど、聞いているだけでずいぶんと楽しくはある。半分以上は理解ができなくとも。 「おっと、申し訳ない。退屈させてしまいましたな」 「とんでもないことです。楽しく拝聴いたしました」 「ほうほう。――不躾を承知でお尋ねするのだが、あなたは異種族でらっしゃる?」 「はい。我々は自らを人狼、と」 「と、言うと」 目を瞬かせただけだった、総司教は。立派だな、とニトロはようやくに安堵する。人狼、と言われただけで総司教にはおおよそのことがわかるだろう、その語感から。が、彼はまったく動じなかった。 「狼に変ずることができます。あるいは、人間に変ずることが」 「なるほど。感じ方の問題、というわけですな」 「はい」 ほんのりとキアランが微笑んだ。彼は狼になると言うべきか、人間になると言うべきか、たぶんきっと迷ったのだろう。それを総司教はどちらの側から捉えるかの問題でしかない、とあっさり言い切る。本人たちにはその程度、で済ませる問題ではないだろうと滲ませながら。さすが総司教と言うべきか、はじめてニトロの口許が和らいだ。 「ではご案内いたしましょう。見学してもよろしいかな?」 「もちろんです。が、楽しいものでもないですよ? ただ水汲むだけですから」 「ははは、そうかそうか。まぁ、なにかわかったら話を聞かせていただければ。ご存じの通り、最愛のエイシャはお話が何よりお好き」 「……ですね」 総司教はニトロの疲れたような口調に何かを察したような笑み。ニトロは自分の経験ではないものの、エリナードの経験を目の当たりにしたも同然に見ている。 ――あの威厳ある少女と、エリナード師の記憶にある少女がどうにも結びつかんわ。 さんざんにエリナードが振り回された、その記憶。けれど彼にとっては楽しい思い出であったのだと如実に窺えるそれ。 総司教の案内に従いつつ、ニトロはそんなことを考えていられるほど余裕があった。ここではキアランに危険はないとの安堵からだった。 総司教に言ったとおり、ニトロは本当に井戸から水を汲んだだけ。ほんの予備だから、それで充分だ。何しろニトロの勘では間違いなく結果が出る、とわかっている。結果が出てから、本格的な調査に入るつもりだった。 「ありがとうございました。何か面白いことがわかりましたら、またそのときに」 「お待ちしていますぞ」 「はい、今日は本当にありがとうございました。これを、女神に」 ニトロの魔術師らしい、というべきか「まともな大人」の顔を見る機会はキアランにとって多くはない。イーサウの住人はカレン師弟がどんな人物なのかを嫌と言うほど知っている。重鎮の前で取り繕うほどよそよそしい関係でもない。結果として、どこに行っても傍若無人を地で行くニトロだった。 |