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「いい加減にしろよクソ女!」 「それが師匠に対する物言いかえ?」 「こういうときだけ女っぽくなるんじゃねぇよ!」 「これで女っぽいとか笑わせらぁな。お前の女性観は間違ってんだろうが」 「……いいからなんでそんなこと言い出したのかいい加減に吐けよオイ」 長々しい溜息が室内から聞こえた。扉を隔ててすら聞こえたそれにキアランは笑みを零す。島の無頼どもからすら聞いたためしがないような罵声の連続はイーサウ自由都市連盟が誇る魔術師師弟のものだというのだから笑えて仕方ない。 キアランにはニトロの罵声の理由も溜息の理由もわかっていた。 事の発端はやはり戦争終結だ。ニトロも渋々ながらイーサウに戻り、なんやかんや嫌と言うほど働いている。元々人嫌いなところに来てキアラン襲撃が心底こたえているらしい彼だった。イーサウなど知ったことか、と言い放てない律儀な男でもある。 そして近々ラクルーサの貴族がイーサウを訪れる、という。主な目的は条約締結、とのことだったがキアランにはいま一歩ぴんとは来ない。 「賠償金をきっちり支払わせていただきますって署名しにくんだよ」 そういうものか、と思ったけれどニトロが言うのならばそうなのだろう。島の男で、しかも若いうちから島主の屋敷に半ば軟禁状態と来ては経済も政治もさっぱりだ。 その貴族が来るのが問題だった。イーサウは王国側から見れば「平民」の国だ。雅やかな舞踏会など望むべくもない、と嘲笑しているらしい。それがイーサウは癇に障っている、とキアランは聞く。 どんな理由であれ、嘲笑われるのは嫌なものだろうとは思うが、これもぴんとは来なかった。「人間」が嫌だと言うのならばそのようなものなのだろう、と思うに留める。ニトロも理解はできない、と言っていた。が、イーサウの住人として、国の要請があれば手を貸すのは当然だとされているのだから従うだろう、とも。キアランはそれでいいと思っている。ニトロには人の心がわからない。自分にはイーサウの事情がわからない。ならばイーサウの常識に従っておくのが安全ではある。 「失礼します」 キアランが室内に顔を出すや否やぴたりと言い争いが止まった。面白いものだ、とキアランは口許に笑みを含む。 「あー、ちょっと、な……」 カレンのばつの悪そうな顔。立派な魔術師の顔もするのに、こうして普段は悪戯っ子のような人でもある。 「率直に申し上げて、僕のことでしょう?」 にこりと微笑むキアランにニトロの険しい顔。カレンは得たりとばかりうなずく。それにもまたニトロは嫌な顔をした。 「イーサウ主催の舞踏会をする、という話を漏れ聞いていますが、その話なのではないのですか」 「アタリ。いい耳してんな」 「師匠、だから――」 「まず、舞踏会がなぜ開かれるのか、聞いてもいいですか?」 それにはたと気づいた顔をする師弟だった。舞踏会を開くとは聞いていてもキアランは理由までは知らない。もっとも、多少は聞き知ってはいたけれど、納得していないのだから同じことだった。 「イーサウが嘲笑に耐えかねて、とは聞いていますが」 話を簡略にするため、知っていることまでを話せばカレンが嬉しげにうなずく。何をどこからどう話せば伝わるのか、勘のいい男だとカレンはキアランを評価している。何しろそのあたりの勘が嫌と言うほど悪い弟子がいるのだから。 「まぁ、貴族が来るからな。それで目に物見せてやろうってのが一つなんだが。キアランが理解しにくいのは、なんでこっちがもてなすかってことの方だろ?」 「えぇ、勝ったのはイーサウでしょう」 「あれだな。ここで大度を見せておきゃ商売にも有利だし舐められることもなくなるだろうって見込み、かな?」 「見込み、ねぇ? 甘い見通しではあるよな。でもまぁ、そんなとこかな。人間社会の見栄ってやつさ」 肩をすくめたカレンの総括。なるほど、彼女にも心から納得できる理由はないらしいと見当がついてキアランはそっと微笑む。 「ありがとうございます。それで、ニトロ?」 何をそんなにカレンと言い争っていたのか、と水を向ければ渋い顔。心の底から嫌で嫌で仕方ないと全身で叫んででもいるようだった。 「俺に介添えやれって言ってんだよ、この女」 「介添え?」 また知らない単語が出てきたな、とキアランは首をかしげる。カレンを見やれば、彼女もあまり楽しんではいないらしい。 「女が正装するとき、隣には男がいるもんだろ? それをこいつにやらせようと思ってな」 「別に俺じゃなくったってかまわねぇだろうが」 「なに言ってんだよ次男坊。お母さんのお手伝いくらいしろってんだ」 「倅にやらせんな。どっかで男とっ捕まえて来いよ」 なんという言い種か、キアランは時々頭を抱えたくなる。が、そう思うと同時に唇が笑ってしまっているのだからどうしようもない。 「あなたも正装をするのかな、と思って。だったら見たいような気がしますね」 「って、おい!」 「だろ? キアラン、いいこと言うよなぁ。こいつは見栄えはいいからな。見応えはあるぞ? ほれ、キアランのご所望だぜ? 観念して着飾れよ」 「だから!」 「往生際が悪いって言ってんだろうが?」 「あのな、馬鹿師匠よ。俺はキアラン一人にするつもりはねぇんだよ。執念深いと言われようがな、俺はイーサウの人間、信用なんかしてねぇぞ」 舞踏会の間キアランが一人になる。魔導師会本部に預けておくのも手ではあるが、何しろ盛儀になる予定だ。本部も手薄になるのが予想できている。そんなところにキアランを一人にしておきたくない、とニトロは吐きだすよう口にした。 「あぁ、なるほど。そりゃもっともだ」 「カレンさん、僕のことは捨ておいてください。ニトロは心配しすぎなのだと思います」 「ん? それはねぇな。ニトロの心配は当然のもんだぜ?」 「だろうが。だからな――」 「いいこと考えた。お母さんの提案を聞くかい次男坊」 「嫌な予感しかしねぇのは気のせいか」 にやりと笑ったカレンにニトロは悪寒をこらえる身振りをした。キアランは小さく微笑むだけ。カレンがニトロのためにならないことを言うはずがない。 とはいえ、こんなことだとはキアランは想像もしなかった。世の中は不思議で満ちている、とはニトロの口癖だが、彼と知り合って以来、何度となく噛みしめている気がした。 「大丈夫かい、キアラン」 屈託なく微笑むのはダモンだった。今日の盛儀に合わせて彼もまた凝った正装をしている。エイシャ女神の神官服を基本にした衣装なのだと彼は言った。在家神官だから正式の神官服でなくともかまわず、こんなときには遊べて楽しいとも。 「あんまり大丈夫なような気はしませんね」 ダモンの隣でティアンが深く言葉にうなずいてくれた。彼もまた煌びやかに着飾っている。こうして見ると二人とも見栄えがする男なのだとよくわかる。殊にダモンは若き日にはどれほど美しい男だったかと目を見張るほど。いまは壮年の男振りも優雅だった。 「君はこういうのははじめてだろう?」 舞踏会など体験したことがあるはずがない。ダモンもイーサウではそう何度も経験してはいない、と笑う。 「向こうはもっと大変みたいだからね、僕はこちらでよかったよ」 「あっちに行けって言われたら俺は直前で腹痛を起こすことに決めてた」 しみじみと言うティアンにダモンが笑う。自分だけ逃げるなよ、と笑う。が、キアランとしてはティアンの気持ちの方がよくわかる。 舞踏会は市議会議事堂から程よく離れた場所に閑静に建つ迎賓館で行われている。それだけでもどぎまぎとするのが庶民、というものだろう。幸いなことに、ラクルーサ貴族を応接している広間はここではない。戦争終結を祝うとの名目で行われる舞踏会ということもあって大勢の人々が参加していた。あまり位の高くない人々のいる部屋にキアランたちはいる。ほとんどがイーサウの人たちだった。ラクルーサは平民がこのような席に連なるのをよしとしないらしい。 「せっかくだから遊んで行けばいいのにね」 肩をすくめるダモンだったけれど、キアランは内心で首をかしげる。自分だとて借り物のような気がしているのだから、このような場にいるはずがない、との常識を持ったラクルーサの平民はよけいに落ち着かないだろうと。 「それ、見立てはニトロ?」 カレンがニトロを引きずり出すために打った手がこれだった。キアランも舞踏会に出してしまえと。ニトロはそれでも渋い顔をした。人狼と知れたキアランがこの場にいることを人間がどうするか、不安でならないらしい。そのためにカレンが打った手だった。キアランの傍らにはぴたりとダモンがついている。神官であり、優れた武器の使い手でもある彼がいれば――しかも武器は暗器だ――キアランに不都合が起こる可能性は限りなく減らせる、と。 「えぇ。こんなものを着たことがないので、なんだか落ち着きませんね」 思わず裾を引っ張ってしまえばティアンに笑われた。先ほどまで彼もそうしていたというのに。気づいたティアンが照れくさそうに笑った。 「よく似合っているよ。神秘的な雰囲気で、とても君らしい」 にこりとするダモンにキアランは何を言っていいかわからなくなる。イーサウのつくりではない胴着だった。ラクルーサ風でもミルテシアのそれでもない。あとで聞いたところによれば神人の子の装束をキアランに似合うよう工夫した、とのこと。結果としてどこにもない目新しい衣装のできあがりだった。 「似合っているのかどうか、自分ではさっぱりわからなくて」 「君は見目形がいいからね。着せ替え人形がしたくなるんじゃないかな、カレン師は」 「やめろ、想像させるなよ!」 「あれで意外と可愛いものがお好きなんだよ、カレン師は」 「だからダモン、勘弁!」 悲鳴じみたティアンの声が聞こえた周囲の人々が何か楽しい話でもしていたのだろう、と笑みをこぼす。それを見るキアランは悪い気分ではなかった。イーサウの人々に追われた自分ではある。が、こうして何気なくまたここにいる。ニトロはいまだ不安がっているが、許さない、というわけでもないらしい。その気持ちもどことなく理解できるキアランだった。 |