甥っ子を連れて琥珀と三人で遊園地に行った。
 横浜ドリームランド、という五年前にできた遊園地だ。
 五重塔をずっと派手にしたようなホテルが隣接しているのが印象的な風景だった。
「なんかへんー」
 そう甥が笑うのは私も琥珀も今日は着物を着ていない所為だろうか。
 私にしても着付けない洋装になにやら腿の辺りがむずむずする。

 遊園地は大変な賑わいだった。
 ことに子供らが喜んでいたのはパレードだ。
 イギリスの衛兵風、というのだろうか。金の線が入ったズボンに金モール付の真っ赤な上着も華々しく楽隊が歩いていく。
 楽器に、モールにきらきらと陽が反射して、美しい。
 甲高い子供の声がうねりになって彼らの後をついていく。
 指揮杖の先についた金の珠がきらり、光った。
 甘く光る風の色。吹き流れていく歌声。
「春だね、篠原さん」
 琥珀が笑う。
「春だねー」
 私の言葉を奪って甥が言うのを苦笑いで見つめた。
 春、とは言えつい三日前には気象観測以来、という大雪が降った。
「梅は早かったのに」
 と琥珀が嘆くとおり桜はこの分だと遅くなるだろう。

 春。
 これを思うたびの近頃
「あと何回桜を見られるだろうか」
 そんなことを思う。
 まだ早い、そうは思っていてもなぜか、よぎる。
 残していく人への未練も不安もまだ充分にあるのだから取り立てて死にたいわけでもなかったし
「もうやるべき事はやった」
 などという諦めのいいことを考えているわけでもない。
 ただ。
 春が来る。
 それを迎えられるのが嬉しくも、惜しい。
 生きていられるこの時間、というものを名残惜しんでいるのかもしれない。
 若く、屈辱だらけだった日々。春、一斉に花が咲く。それにさえ苛ついていた日々。
 そんなものが無性に懐かしい。
 それはきっと
「世の中にたった一人で取り残されている」
 という幻想をためらいもなく抱けた自分という存在への、懐かしさ。
 若く、青く、ただひたすらにがむしゃらで。
 それを知られる事をなにより恐れていた自分。
 大人になってみればなんと言う事はない。
 みな、若き日に通ってきた道だった。
 孤独、というものを知らない人間は決して優しくはなれない。
 優しいという事は時として残酷な事ですらあるのだ。
 そしてそれを知る事がたぶん
「大人になった」
 ということなのだろう。
 反論はあるだろうが人は独りきりで生まれ独りきりで死んでいく。
 ただその道の途中誰かと手を携え、あるいは隣り合い、道を同じゅうし。
 それが幸せなのだ、ということなのだ。私はそう思っている。
 きっとそれは私が原稿用紙の升目をひたすらに埋めていく、という孤独な作業を生業としているから感じる事なのだろう。
 私は水野琥珀、という最大の理解者を得た。
 同時に琥珀の一番の理解者であれることを私は誇る。
 冷たく寂しいこの世界で互いを理解しあえる人を見出せた。
 それは身のうちが震えるほどの歓喜、だった。

 甥はいったいどんな道を歩き、どんな恋をしどんな理解者を得るのだろうか。
 彼の春はまだ始まったばかりなのだから。
 そして私はその道を微笑みながら見ていることが出来るのだろうか。

 雪の名残の冷たさを風が足元からすくい上げ。
 今はもう散り散りになった子供の声があちこちから、聞こえる。
 煙草に火をつけ紫煙を吐き。
 袂に落とそうとして苦笑する。
「慣れないもの着ると不便だね」
 琥珀もまた、苦笑する。
 不意に。
「大丈夫だよ、篠原さん」
 彼が言った。
 なにが、と問い返す私に琥珀はあいまいに笑い
「なんとなく」
 そう、微笑う。
「そうか」
 大丈夫か。
 言われた私にしてもなにが、とよくわからないままにけれどこの妙な、安堵。
「大丈夫、か」
 呟いた私に琥珀は肯き、笑った。

 ところで。
 一年にわたり連載してきたこの随筆も今回が最終回、となる。
 まったくの偶然ではあるが後任は琥珀だそうだ。
 長いようで短い一年だった。
 二週に一度、と言うのはなかなかに大変で
「新聞小説ってのはすごいね」
 そう琥珀に言ったら
「当たり前じゃない」
 と一蹴されてしまったが。
 けれど大変さに見合うだけの面白さがあった。
 すぐには遠慮したいがまたやっては見たいとも思う。
 その時までしばし、ということになるのだろうか。



昭和四十四年三月十五日    篠原忍記す



モドル