今年もまた、あの暑い夏がやってきた。
 明るく青い空に響き渡った爆撃機の、音。
 今では子供らが遊ぶ夕暮れの道に落ちた焼夷弾の匂い。
 忘れ得ぬあの夏が今年もまた、やってきた。

 普段の会話のようにさりげなく今年も訊いた。
「靖国神社、行くのか」
「ううん」
 帰ってくる琥珀の答えは毎年変わらない。
 戦後、これほどの時間がたってもまだ彼は胸に痛みを残している。
 生き残ってしまった、という。
 それはまた、私自身も同じであった。
 世間ではA級戦犯の合祀がどうのとかしましい靖国神社だが、私は思う。
 いつから日本人は死人に鞭打つような真似をするようになったのだろう、と。
 そもそもA級戦犯、とされた人たち自身が東京裁判の犠牲者ではないか。
 戦争は悪い。
 それは当然の事だ。
 しかし、その戦争に勝った国々が敗戦国を見せしめのように裁く事があっていいものだろうか。
 東京裁判はそういう裁判だった。
 たった二十三年で人々はそれを忘れたと言うのか。
 戦争は悪い。
 確かにそうだ。
 いつまでもその恨みを引きずっていては未来に結びつく事はない、それもよくわかっている。
 けれど、けれど、だ。
 死人に鞭打って、他国に媚びて、どうして国としての誇りを持てるのだろう。
 日本という国は戦後二十三年でここまで復興した。
 あの一面の焼け野原、雨風の防ぎようのないバラック。闇市。
 あそこから日本はここまで立ち直った。
 五十年は草さえ生えぬと言われた広島に、長崎に春、草の芽が吹いた時私たちはどれほど喜びの涙を流した事だろう。
 それさえ、忘れてしまったのか。
 だから私は書かずにいられない。
 琥珀はまだ靖国に参る事ができないでいる、と。
 私自身、戦中は教師だった。
 その所為もあるだろう。
 身近な人が前線に駆り出され、友が死んでいく、それを目の当たりにはしていない。
 琥珀は違う。
 彼はそれをその目で見、血の匂いをかいでいる。
 だからこそ。
「靖国で会おう」
 そう言って友は死んでいった、と。
 琥珀は寂しそうに言った。
 靖国神社は戦争賛美などではない、決して。
 建立された時はそうであったかもしれない。
 けれど今は違う、そう考えるのだ。
 他国人には決して、決してわかりはしないだろう。
 日本人はあそこで亡くなった家族を思い、死んで行った友に会う。
 無駄に死んでいったとわかっているからこそ、その慙愧の念に耐えかねて彼らに会いに行くのだ。
 それは生き残ってしまった、苦しみだ。
 それがどういうことなのか、他国人にはわかるまい。
 友は死んだ。父も死んだ。兄も、弟も、母や妹さえ。
 自分は生き残ってしまったのだ。
 琥珀はそれを生涯抱えていくだろう。
 戦争で亡くなった知人縁者の比較的少ない私でさえ、そうなのだから。
 それがどういうことだか、他国人にはわかるまい。
 一生涯、生きると言う事に罪悪感を持つことだ。
 生きている、ただそれだけにこれほどの苦しみを味わっている。
 わかるまい。
「靖国にはね、僕の友がいる。先輩もいる。あの人たちだってきっとわかってたんだ。無駄死になんだって。でもさ……なんにも言わないで、死んでったよ。みんな。
 僕は行けない。
 生き残ってしまった僕はまだ、気持ちの整理ができない。だから、靖国には行かれないよ……」
 いつか琥珀は遠い目でそう言ったものだ。
 それが生き残ってしまった苦しみというものだ。
 戦争は悪い事だ。
 交戦中の国に日本人という憎悪を残し、日本人の中には国に殺されたという決して日本人が口にしない禍根を残す。
 いい事などなにもありはしない。
 戦争をして平和をもたらす。
 詭弁だ。
 平和は平和の中にしかない。
 その国の人々が、国々の人々が互いを思いやり、慈しみあう。
 そんな世のこないものか。
 こないだろう。
 人が人であることの業、かもしれない。
 それでも私は夢想せずにはいられないのだ。
 花、咲き誇り、笑い絶えず、子供らが走り回る世の中を。世界を。
 今年もまた八月十五日がやってきた。
 あの戦争のすべての死者に寄せ私は、願う。

昭和四十三年八月十五日   篠原忍 記す



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