翌日は延暦寺。 のんびりと移動しつつ若狭に入り、敦賀半島は気比ノ松原を散策。 どれも見事な老松の大木は眺めているだけで鮮烈な気持ちにさせてくれた。 若狭といえば小鯛のささ漬。 あまり名物名産のたぐいに興味のない私でも酒の肴となれば話はべつなようで、たっぷりと堪能した。 「篠原さん、飲みすぎ」 そう琥珀に小言を言われながら。 そう言う琥珀も目元をほんのりと桜色に染めている。 彼は酒に強い方ではないのだけれど、こうして飲ませればある程度は付き合うし、第一乱れない。 だから本当は強いのかもしれない。 どちらにしても綺麗な酒の飲み方だった。 三月二日、ようやく小浜に入った。 別段年齢の所為ではないと思うのだが、観光地を足早に見て回る、と言う旅は苦痛ですらある。 思い起こせば若い頃からだから、性格かもしれない。 宿についてから町の散策に出た。 小浜、というところは地方としては珍しく、いや個人的には京都奈良に匹敵するほどの、優れた仏像や建築がたくさんある。 小浜が「海のある奈良」と呼ばれるのもなるほどと、頷ける。 いや、むしろ京都奈良ほど観光地化せず、俗化せず本来のたたずまいを守っている所が好もしい。 「ねぇ、昼間のうちに一度見ておこうよ」 神宮寺の事である。 もともとお水送りを見てみたいと思って旅行の予定を立てたのだが、 「それなら見たいところはたくさんあるから」 そう琥珀に言われ随分回り道をしたのだ。 ようやくたどり着いた、というわけだ。 「なんだか、はかないね」 入母屋造の本堂を見上げ、琥珀が呟く。 「ん?」 「だって……」 そう振り向いた琥珀の、薄い茶色の瞳に淡く涙がかかって見えた。 歌詠みとして何か感ずる所があるのだろう。 「だって、大きなお寺だったんでしょう? それが、さ」 「大きな、確かにな」 神宮寺は鎌倉時代、七堂伽藍二十五坊の隆盛を誇った。 今は本堂に仁王門、開山堂と円蔵坊。 わずかそれのみが残る。 理由は知らない、が人の世と言うのはこんなものかもしれない、そう思う。 「沙羅双樹の花の色、だね」 「……盛者必衰の理をあらわす、か」 琥珀もまた、同じことを考えたようだ。 そして、そのはかなさを愛でるのも人、という存在なのかもしれない。 日が暮れた。 お水送りが始まる。 神宮寺の南側を流れる鵜ノ瀬へ松明の行列が進んでいく。 それを見たいがためにここまで、来た。 昼間の深々とした寂しさとは打って変わった神宮寺のその、威容。 まるでこの一夜のために最大の勢いを誇った頃の遺物たちが復活をとげたようですら、あった。 森厳とした雰囲気の中、行列は進んでいく。 道の脇に立ってそれを見詰めているととても現実の出来事とは思われない。 なにかそう、異界の敬虔な儀式に出くわしてしまったようだった。 「異邦人、なのだな」 思わず呟いた自分の声が高く響き酷く無作法な事をしてしまった気がする。 ちらり、琥珀を見やれば食い入るばかりに熱心にその灯の行方を見詰めていた。 横浜に帰る列車の中、琥珀はまだ去り行く小浜を見ている。 陽の光がきらきらと海に輝いているのが見えた。 「すごかったね」 視線に気づいたか琥珀が笑う。 「すごかった」 私もまた、今までとらわれていた異界のはかなさからその一言で「こちら側」に帰ってくることが出来た。 今生きる、この現代へ。 「今度は天橋立、見に来たいね」 琥珀は再びそう、笑った。 昭和四十三年三月三日 篠原忍 記す |