まず、今回の旅行のルートである。
 長崎空港に降り立ち、そして雲仙を過ぎ、阿蘇、大分は別府を経過して臼杵の石仏を見学。そうして帰郷した。
 とにかく長崎である。
 阿蘇以降に事は次回にまわしてしまおう。
 それほど長崎、という土地に私は懐かしさを感じたのだ。
 長崎は坂の町、とも言われる。
 歩き回って私もそのことを実感した。その坂の多くが石畳で覆われているのが非常に美しい。
 その美しい坂の道端で観光客目当てだろうか物売りが出ていたりも、する。
 ザボン、だ。
 ちょうどそう……グレープフルーツを巨大にしたような柑橘類の果物だ。なんとも言いがたい本当に南の色をした鮮やかな黄色をしたザボンがごろごろと売られていたりするのだ。
 ある物は網に入れられ、あるものは箱詰めにされ。
 そう、西瓜のような売られ方だ。
 後から訊けば有明湾をはさんだ熊本は西瓜の産地、ということだった。とかく果物が大きく美味く育つ地らしい。
 そんなおおらかな道をそぞろ歩いていく。
 大浦天主堂。あるいはグラバー園。
 横浜の町に住んでいると忘れてしまいそうな「散歩」の距離に点在している。
 そんなことが妙に、楽しい。
「篠原さん、ご機嫌だね」
 琥珀に言われるまでもなかった。
 季節は秋。横浜はここ数日急な秋もよいで気温がぐっと下がった。
「暖かい所にいきたいね」
 言い出したのは琥珀のはずが、すっかり長崎の町に取り付かれたのは、私のほうだった。
「めずらしいね、旅先の町をそこまで気に入るなんて」
 琥珀は言う。
「昔の……横浜に似ている」
 そう、答えた。
 私は大正も半ばほどの生まれである。だから厳密な意味での「古き良き横浜」を知らない。
 明治の頃の横浜は外国人居留地。その面影を残す町、長崎。
 長崎の人にしてみれば決して好ましい見方ではないだろうと思いつつもわが町を思わずにはいられなかった。
 妙な事で旅情をかきたてられるものだ、と苦笑しつつも。
 近頃の横浜は開発の魔の手が伸びて変化というような生易しい言葉ではあらわせないほどである。
 それが長崎の町には残っている。
 美しくも懐かしい町並みが、建物が、そして風が。
 子供の頃世界の広さを感じた色彩の渦、それは決して原色の嵐などではない日本の色だった。
 木々の緑は季節ごとに浅緑から濃き色へ、そして赤に黄色に色づき枯れ落ちていく。
 それを映す石畳の色、空の色、風の色。
 失われてしまった、横浜の色彩がここにあった。
 郷愁、というのはいつもどこか物悲しい。
 アンジェラス……祈りの鐘が鳴り響く。
 それはキリシタン弾圧で失われた命への、原爆で失われた命への。祈り。
 そしてなにより人間がもう二度と同じ過ちを繰り返さないで生きられるように、との。
 考え方が違う、信じる神が違う、肌の色が民族が違う。たったそれだけの事で人と人が争う姿を見たくはない。
 他者が自分と違う。
 そんな当たり前のことで戦争を起こしてはいけない。
 そもそも自らとまったく同じ考えをし、同じモノを信じ……すべてにおいて同じモノを人は愛せるものだろうか。
 私はそんな世界は気持ちが悪いのだが。
 人々が互いを尊重しあえる世界、それをアンジェラスの鐘は祈っているように聞こえてならなかった。
 その歴史の痛みが長崎に深い味わいを与えているのかもしれない。

 本当に日本人というのは外国の文化を取り入れてしまうのが上手な民族だな、と港町では特に思う。ここでもやはりそうだった。
 卓袱、ちゃんぽん、皿うどん。カステラもそうだ。日本なかった味を巧みに取り入れて自分たちのものにしてしまったのは感嘆に値する。
 中国、あるいはオランダだろうか。影響を与えたのは。そう言えばカステラにしてもてんぷらにしても元はオランダ語ではないのか、という話を聞いたことがある。
 さすが片仮名を操るだけはあるという所か。
 本来は中国の言語であったはずの漢字を取り入れ、片仮名を生みひらがなを育てた。同時に三種類の記号を使うところが日本語習得の難しさだそうだが、それだからこそ文化の吸収ということが容易だったのではないか、と私は思ったりもする。
 「真似っこの日本人」などとからかわれるけれど、それが日本人の特性なのだから胸を張っていいと思うが。
 開発する人間がいて、発展させる人間がいる。人はそれぞれ得意とする分野があり、それを生かせばいい。
 お互いの個性を認め、その場その場にあったやり方で運用していく。時には互いの仕事を補い合いつつ。
 たったそれだけの事を人間は実現できない。強固な自我や権力欲に、物欲に負けて。
 それに苛立ち、悲しんでも私はなにひとつ具体的なことなど出来やしない。
 ただこうして原稿を書き、そしてそれによってなにかが変わりはしないかともがき続けるだけだ。
「篠原さん、人間そう捨てたモンじゃないって」
 つい、とうとうとまくし立ててしまった私に彼はにこりと笑って見せる。
 目の前のちゃんぽんを美味そうに口に運びつつ。
 そしてちらりと視線をはずす。
 視線の先は。
 明るい笑い声を立てながら旺盛な食欲を見せている子供ら。
「大丈夫。きっと」
 そう、彼は少し微笑った。

昭和四十三年九月二十六日   篠原忍記す



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