旅行に、よく行く。
 もっとも、小説の取材を兼ねて、のことではある。
 水野琥珀という歌人がいる。ご存知かもしれないが、彼は歌人として名を挙げる以前から私の所に寄宿していて、今でもやはり私の所に同居している。
 家事が趣味、と言う変わった男だ。
 おかげですっかり任せきりになってすまないとも思う。むしろ、有難い、か。
 だから普段の感謝というわけでもないのだが、旅行には彼と行くことが多い。
 結果的には旅先でも手をかけることになるのだけれど。
 そう言った訳でこの函館旅行も琥珀と行を共にした時の事だ。

 幕軍の弁天砲台跡とちょうど反対方面、立待岬の手前、碧血碑がある。
 長い坂を登りきり、そこからさらに剥き出しの土を踏みしめ丘を登る。
 登りきった木立の奥に小さな広場があって、そこにまるで圧し掛かるように立っている、それが碧血碑だ。
 碑、というよりも巨大な、それは墓だ。
 壁血碑、それだけが表に書いてあり、後ろ側の文字はすでに判然としない。
 ここに函館戦争で散った幕軍七百余名が眠っている。
 新撰組副長として名高い土方歳三もここに、眠る。
 訪れる人はほとんどなく、私たちが行った時も枯れた花がわずかに残っているだけだった。
 それが無性に哀しい。
 彼らは滅び行く徳川幕府に、それを知りつつ殉じた最後の武士だった。
 損も得もない。
 武士であろうとし、武人として散っていったその魂を私はこよなく愛する。
 彼らは武家以外の出身の者も多くて、事実土方も多摩の豪農の息子だ。
 そんな彼らが武士の意地を持っていた。武家に生まれた人間がとっくに捨て去った意地を。
 それがどうだろうか。
 幕軍が敗れた後、官軍の指揮官は彼らを葬ることさえ許さなかった。
 それが新しい時代の夜明けを担う指導者のすることか、そう思う。
 官軍の追及を恐れずに幕軍兵士を収容、埋葬したのは柳川熊吉という侠客だった。
 今も昔も政府というのはまともな感覚を持つ人間の集う所ではないらしい。
 柳川熊吉も碧血碑の側で、眠る。
「戦争は嫌だね」
 ぽつり、琥珀が呟いた。
 先の大戦で戦友たちを犬死させてきてしまった、そう公言して憚らない彼はそれだけその痛みを知っている人間だった。
「どんな理由があったって人と人が殺しあっていい訳なんかない」
 今なお琥珀は靖国神社の前まで行き、そしてその意味のあまりの重さに鳥居の前で立ちすくむ。
 琥珀はそう言う男だった。
 木立の向こう、函館の青い海が見えそうな気がして振り向いたけれど濃い緑が見えただけなのが、寂しい。
 碧血碑、というのは「義に殉じた武人の血は三年経つと碧になる」という中国の故事からつけられたそうだ。
 彼らの義は死して後になってようやく認められたのか、そう思えばなんだかやるせない。
 今夜は美味い酒でも飲もう、そう言いあいながら私たちは緑の山を下っていった。



モドル